裏切りのサーモン

映画の話をするバイセクシャルの魚。

とうらぶミリしら成人男性による『映画刀剣乱舞-黎明-』の正直な感想。※批判的

※当記事には『映画刀剣乱舞-黎明-』の核心的なネタバレおよび批判的な内容が含まれています。これから観る予定の方や、この映画が大好きだという方にとっては、あまり好ましくない文章であることが予想されますので、閲覧を推奨しません。

※それから、どういうわけか仮面ライダー鎧武』ネタバレも含まれます。念のため。

※あと、虐待やその他の暴力について言及する場面があります。ご了承の上、お読みください。

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【経緯】

ハァイ! どうも、パートナーがへし切長谷部を推していることと、無双シリーズのオタクで刀剣乱舞無双』の体験版だけプレイした経験があることから、ほんのちょっとだけとうらぶを知っている人です。普段は映画ばっかり観てます。『無双』でなんかイイカンジだなーと思った山姥切国広山姥切長義が、今やってる映画でも活躍しているらしいぞ!と噂を聞きつけ──長義役梅津瑞樹さんのお顔が大変好みだったこともあり(三國無双司馬懿とか演ってほしい)──ミリしらながら鑑賞して参りました。

(冒頭に物々しい注意書きを致しましたが、別に批判一辺倒ってわけじゃないです。褒めるところも沢山ありました。ただちょっと、どうしても看過できないところがあって、文章に残しておこうと思った次第であります。ご容赦を……)

(それからミリしらとは「1ミリも知らない」の略語ですので、定義に当てはめれば、私は嘘つきになります。無双に出ていた男士たちの顔と名前くらいは把握していますし、審神者本丸時間遡行軍などの設定もある程度は知っています。そういう意味ではにわかという語の方が適切でしょうか……いやでもにわかの本来の意味を考えると……そもそも知っている/知らないの定義とは?みたいな哲学の世界に突入してしまうので、今回はタイトルの見栄えを重視して、少し嘘をつかせてもらいます。お許しを……)

【レビュー】

ハァイ! さっそく本題へ。鑑賞直後の率直な感想は……

「途中まで良かったのに、最後いきなり日和ったよなぁ!!?」(マイキー)

……という感じです。日和るんなら、最初からあんまり攻めない方が良かったのでは。

もちろん、良かったところも多々ありました。ただ、許せないくらいダメなところもあって……良い意味でも悪い意味でも、記憶に残る作品でした。刀剣乱舞というコンテンツの持つ莫大な熱量パワーを感じさせられましたね。今回の問題が、今後何かしらの形で回収されるのなら、これからも作品を追っていきたいな……と思わせられる程度には。

一つずつ書いていきます。

【良かったところ】

①まず、刀剣男士の皆さんの御尊顔が大変美しい。お顔だけでなく、スラリとしたお身体もですが。もうそれだけで画面が持ってしまうんですね。飽きることなく観ていられる。ビューティフル・イズ・ジャスティス。己の内に潜むルッキズムに辟易しながらも、それでもやはり、美しいものには抗えません。そして、その美しい顔面を際立たせるメイクと撮影の技術にも感服致しました。東映メイク見てるか?「美しい人を美しく撮る」という一点に掛ける、作り手の執念にも似た情熱を感じました。

②男士たちの刀剣アクションも見応えがありました。特に、廃工場やボロアパートでの男士VS男士の戦闘シーンは、本作の白眉と言ってもいいでしょう。正直、映像のアクションって誤魔化しが効いてしまうのです。あまり動けない人でも、動けているように見せることができてしまう。それが映像の凄いところでもあるわけですが……。そこはさすが、誤魔化しの効かない舞台上でのアクションを着実にこなし、日々、激しい稽古に励んでいらっしゃるであろう、この俳優陣。海外の大作映画にも見劣りしない、骨太の生身アクションが堪能できました。これはどこに出しても恥ずかしくありません。

③そんな男士たちも含めて、全体的に演技のクオリティは安定していたように思います。中でも、酒呑童子伊吹という、時代を超えた一人二役を見事に演じ切った中山咲月さんは非常に素晴らしかった。観ていて心が締め付けられるような、生々しい痛みを感じさせる名演でした。今後の活躍も楽しみです。

【悪かったところ】

さて、ここからです。

①扱い切れない重いテーマは、中途半端に触れるべきではない。

観ている途中、私はワクワクしていたのです。ゾクゾクという表現の方が正確でしょうか。というのも、この映画はとうらぶというコンテンツの(ある種の)根幹に迫っていたから。ある時点までは。

刀剣男士たちの目的は、歴史の修正を目論む時間遡行軍を倒し、本来ある歴史を守ること。しかし、歴史というものは、ただ美しい出来事ばかりではないことを誰もが知っています。今作の冒頭で描かれていたのは、まさしくそれでしょう。その時代の権力によって、何の罪もないのに虐殺される人々。彼らは歴史の犠牲者とも言える存在です。そして、男士たちは間接的に(しかし大きな影響力をもって)この悲劇に加担している。「それが歴史だ」とはいえ、その事実に心を痛める山姥切国広

うん、すげーいいじゃん!

これはとうらぶの設定がはらむ悲劇性であり、シリーズにとっての重大な問題提起だと思います。ある意味でとうらぶの根幹を揺るがしかねないテーマであると同時に、この問いに答えを見出せた時、とうらぶというコンテンツ自体がより深く広いものとなるでしょう。

男士たちは、悪く言えば公僕です。権力に与し、彼らの歴史を守るために戦う。道具だから仕方ないのかもしれませんが……。そんな彼らの物語で「権力による虐殺」と「それに苦悩する男士」の描写を挿入されたら、そりゃあ期待するでしょう。作品世界を揺るがしかねない権力批判の物語。そんな難題に挑む作り手の熱意倫理観。一体この物語は、どんな結末を迎えるのだろう……?そう思って、ワクワク&ゾクゾクしていたのです。

こういうテーマを扱った物語の結末は、その悲劇を繰り返さないために主人公が行動する(権力と対決する、あるいは被害者を救済する)、というのが健全だと思います。あるいは権力が維持され、悲劇が繰り返されるバッドエンドもまた、逆説的な権力批判として機能するでしょう。しかし、本作はそのどちらでもないのです。

権力による虐殺の被害者、すなわち歴史の犠牲者である酒呑童子は、最終的には、恐ろしいとして斬り捨てられてしまいます。彼の怨念が込められた角の飾りもまた、破壊されてしまいました。モノには想いが宿る。酒呑童子の無念は、歴史の犠牲者の怒りや苦しみは、この世に存在していてはいけないものなのでしょうか?

そもそも、歴史の犠牲者を恐ろしい鬼として描くこと自体が、権力側の見方を強化しているように思えます。劇中では酒呑童子本人が望んだこととはいえ……実際の歴史で、鬼や化物として淘汰されてきたものが、一体何だったのかを考えると。

権力による虐殺を目撃し、気持ちが揺らいだかに見えた山姥切国広も、結局は"想い"を消され、洗脳されていただけだと判明します。最終的に、権力や政府の在り方に疑問を呈する登場人物は、一人もいません。酒呑童子は斬られました。過去でも現代でも。

こうして、男士たちの活躍によって権力機構は維持されます。バッドエンドですらありません。誰も不正を認識すらしていないのですから。これで例えば、三日月や国広が躊躇っているところに、颯爽と現れた山姥切長義酒呑童子の首を(伊吹ごと)斬っておしまい、だったら良かった。胸糞エンドですが、逆説的な権力批判として機能しています(脚本の人は元ニトロプラスなんだから、それくらいやっても良かったように思う)。あるいは、せめて酒呑童子角の飾りは残しておいて、それを手にした琴音酒呑童子の無念の声を聞く。そして仮の主である政府の男神職の男に渡して、丁重に祀ってもらう。これだけでも少しは良くなったように思います。

とうらぶに権力批判なんて求めるな、と言われるかもしれませんが、最初に権力批判要素を持ち出してきたのは映画の方ですから、重いテーマを取り上げたからには、きちんと最後まで描き切るのが誠実な態度だと思うのです。描き切れないのなら、いっそ娯楽性に振り切った方が良かった。中途半端不誠実な作品になってしまっているように思います。

②被虐待児の扱いが雑。

995年に虐殺されてしまった酒呑童子は、1000年後の日本に復讐を誓い、鬼となります。伊吹は恐らく1995年生まれで、酒呑童子の生まれ変わりか何かなのでしょう。2012年時点で17歳くらいでしょうか。(1995年の日本で起こった様々な事件災害も重ねてるのかな、それは深読みし過ぎ?)

彼と、彼の生まれ育った家庭は、多くの問題を抱えていました。まず、経済的な困窮父親による子供たちへの暴力。そして弟の死。ちょっと死因が確認できなかったのですが、たぶん事故死ですよね。近くに車が止まっているようには見えなかったので、轢き逃げかな。そのあと父親がどうしているのかもわかりませんが、姿が見えないので、今も一緒に暮らしているわけではなさそうですね。

弟の死を認識し、絶望した伊吹は鬼として覚醒。日本中の人間から"想い"を奪ってしまいます。そんな伊吹に、仮の主である琴音審神者に通じる力を用いて、遺品から亡き弟の想いを励起させます。復讐など望んでいないと告げられた伊吹は、国広に自らを斬らせ、鬼の力伊吹は分離。鬼は三日月宗近によって斬られ、日本中の人々に"想い"は戻りました。

一連の、遺品から故人の想いを励起させる、という展開それ自体は見事なものです。単に口先だけの「復讐は何も生まない」だの「故人は復讐なんか望んでない」だの、寝ぼけた台詞を吐くよりはずっと説得力があるし、とうらぶの設定も上手く活かされています。ここは素直に感心したのですが……何か納得できない自分がいる。なぜだろう。

先述した通り、伊吹の抱える問題は複数あるのです。簡単に分けると①貧困家庭内暴力弟の死、の三つになりますね。琴音の説得で解決されたのは、この内の③だけではないでしょうか。弟の死は自分のせいだと思い込む伊吹に、そうではないと告げる亡き弟。それは結構なのですが、①と②は解決してないよね!?

伊吹が鬼として覚醒した直接のトリガーは③ですが、それに至るまでの①と②も、決して無視できない大きな問題です。そしてそれは、亡き弟からのメッセージというような、いわゆる感情論で解決すべきことではないように思う。必要なのは社会福祉による援助であり、医療的に適切なケアです。一応、本編の最後で伊吹がそれらと繋がれてるような描写があったので、ちょっと安心しましたが……。

貧困家庭内暴力は、もちろんその家庭の大人の責任であると同時に、社会問題であり、社会にも責任原因の一端があります。社会、すなわちその成員たる大人たちであり、高度な意思決定を行う政府権力者のこと。であれば尚のこと、先ほど述べたように政府批判権力批判のメッセージが作中でより強く示されて然るべきだったのでは。

それから、先ほど酒呑童子が滅ぼされてしまったことを批判しましたが、作り手の目論見としては「酒呑童子生まれ変わりである伊吹を救った(実際に救えているのかは別として)のだから、これで酒呑童子も救われたことになるのだ」と考えている可能性もあります。もしそうなら、それは間違った考えだと思う。酒呑童子の受けた苦しみと、伊吹の抱える苦しみとは、全くもって別のものです。別の人なのですから。生まれ変わりを救えば前世も救われたことになる、ってのはちょっと都合の良すぎる解釈じゃありませんか。やっぱり、酒呑童子を祀る祠か何かを建てておいてほしかった。

あと、虐待描写そのものの扱いの雑さですね。映すんなら注意書きが要ります。去年の映画ザ・バットマンでは、公開前に公式から「水害のシーンが一部含まれております」と注意喚起がありました。日本での公開が3月11日だったことも影響しているのでしょうが。『すずめの戸締まり』も、私は好きな映画なのですが、やはり地震に関する注意書きは欲しかったなぁ、と思ったのを憶えています。虐待は災害ではありませんが、性暴力ペットが傷つけられる描写と並んで、不特定多数の人にトラウマ体験を思い起こさせる、ある意味で危険な映像です。普段から、人がバラバラにされたり臓器がばら撒かれたりするホラー映画戦争映画を見慣れている、一部の映画オタクたちは「そんなことを気にしていたら映画を楽しめない!」と言うかも知れませんが、本作『映画刀剣乱舞-黎明-』はホラー映画でも戦争映画でもありません。本作が、どのような客層を想定して公開されているのかは知りませんが、少なくとも、ゴア表現を喜んで受け入れるようなタイプの人たちをメインターゲットにしたものではなさそうです。であれば、そういう映像表現は避けた方がいいように思います。虐待設定を無くせと言っているのではなく、描写を無くした方がいいと言っているのです。別に直接的な描写を避けても、物語上で虐待や暴力を描くことは可能です。それが映画ってもんです。

小橋秀之さんと共に本作の脚本を担当した、元ニトロプラス鋼屋ジンさん。彼が過去に参加していた作品仮面ライダー鎧武』にも、伊吹と似た境遇の男・駆紋戒斗(くもんかいと)が登場します。強大な権力を誇る大企業によって、両親が営んでいた工場は奪われ、貧しい暮らしを強いられることに。父親は荒れ果て家族に暴力を振るい、母親は首を吊り自ら命を絶つ。全てを失った戒斗は、弱者が犠牲になってしまうこの世界を破壊し、新たな世界へと作り変えるため、強大な力を追い求め、やがて禁断のパワーに手に出してしまう……というような展開です。

『鎧武』のメインライターは有名な虚淵玄さんですが、鋼屋さんは虚淵さんと共同で8話分、単独で1話分の脚本を担当していますので、戒斗の設定を知らないはずはありません。しかし、戒斗に比べて伊吹の話は、テーマが後退しているように見えました。

世界を作り変えてしまおうとする戒斗の目論見は、今ある世界を守ろうとする主人公によって阻止されてしまいます。ここまでは今作と同じですが、鎧武のラストでは、主人公の仲間たちが、戦いで傷ついた人々や街を救ったり、過ちを犯した大企業の在り方を見直したりと、より良い世界を実現するための具体的な行動をとっていました。本作でも、そういった実践が目に見える形であれば、また違う感想になったのかな……と思うと、少し残念です。

【重箱の隅】

ここからは、取り立てて騒ぐほどでもない、ちょっとだけ気になったところを少し。

①安っぽい(邦画っぽい)撮り方

邦画っぽいと言うと、真剣に邦画を撮ってらっしゃる方々に失礼ですが、なんかこう……安く見えてしまうんですよね。上手く説明できないけれど。画面の構図とか、人が台詞を喋る時の間(ま)とか。スクランブル交差点での決戦がグリーンバック感満載なのは、まぁ仕方ないと思いますが。

それも裏を返せば見やすいということですし。テンポが悪いという感想も多くあるようですが、私はこれくらいが丁寧でわかりやすくて良いのではないかなーと。例えば作中で「"それ"はこれだったのか!」という時、"それ"が何なのかを直接映像で見せてくれるんですよね。たとえ3分前に見たばっかりの映像でも、そのまんまお出しして「"それ"とはこれのことですよー!」と教えてくれる。クラスの全員が理解するまで先に進まない小学校の授業みたいな感じ。映画ばっかり観ている人間はウンザリするかもしれませんが、普段あまり映画を観ない人(そしてそういう人たちがメインターゲットだと思う)にはこれくらいがちょうどいいかも。『とうらぶ無双』に操作簡単モードがあったように、映画にも簡単モードがあっていい。

②ラストの雑な集団戦

悪い意味東映っぽい、仮面ライダーっぽいシーンでしたね。最近のMCUもこんな感じになりつつありますが。みんなの大好きなキャラクターたちが一人ずつ登場して、必殺技を披露して、おわり。別に良いんですけど、推しが出たら盛り上がるんですけど、いい加減もうそろそろ、いいんじゃないですかね。ちょっと芸がないです。せっかく集団戦なんだから、コンビネーションを発揮したり、意外なチームを組ませてみたり、きちんとそれぞれの特性を活かした戦術を考えてみたり……と、もっとできることはあるはずです。

【結論】

まとめると「俳優さんたちを始め現場のスタッフは最高の仕事をしたけれど、重すぎるテーマを掲げた結果、最終的には中途半端で不誠実な結末を迎えてしまった惜しい作品」といった所です。良くも悪くも記憶に残る一作。元はブラウザゲームから始まって、ここまでの規模の映画を作れるまでに至るコンテンツのパワーに感服しますし、それを日々支えていらっしゃる審神者の方々には尊敬の念を抱きます。私のような門外漢があれこれと文句を言うのは筋違いかもしれませんが……それもこれも「より良い映画を作ってほしい」という私の想いが励起したものです。そしてそれは、きっと審神者の皆さんの幸せにも繋がるはず。次回作が公開されたら、再び劇場に足を運ぶつもりです。今回提起された問題は、上手く回収されなかったとはいえ、とても重大なもの。今後も刀剣乱舞の行末を見届けていくことで、いつか何か答えのようなものと出会えたら……と、期待し続けます。門外漢にも、そう思わせるだけの強大なパワーが、とうらぶにはあるのです。

【最後に】

とうらぶといえば、映画に限らずアニメ舞台など、様々なメディアミックスが特徴的ですね。もしこれら既存の作品で、私のモヤモヤを解消してくれるようなものがあれば、是非教えていただきたい。あと、長義が活躍している作品も……何卒……。