裏切りのサーモン

映画の話をするバイセクシャルの魚。

マグニフィ考〜なぜ人は『ウィッシュ』にモヤモヤするのだろう〜

「ウィッシュ」本編映像「無礼者たちへ」Performed by 福山雅治|12月15日(金)劇場公開! - YouTube

まえがき

 みて! 記事の名はマグニフィ考(こう) トラウマ抱えた哀れな王 稲妻操り目からビーム! ウソウソ! ただの冗談よ 弱く愚かしい 孤独な王様

 ……さて、本記事は映画『ウィッシュ』について、何かしら明確な答えを提示するようなものではありません。私自身、昨年末に劇場で鑑賞して以来、ずっとモヤモヤしているのです。いったい何が気に食わないのでしょう。私の思う、『ウィッシュ』の抱える問題点や、マグニフィコ王というキャラクターについて、他の映画作品やキャラクターとの比較を交えながら、本気出して考えてみた……その記録であり、軌跡です。情熱的。だけど冷静。そして誰より慈悲深く考えていきます。皆様のお考えも、ぜひお聞かせください。決して、無礼ではないので。

注意点

 ①筆者は映画『ウィッシュ』を劇場で一度しか鑑賞しておらず、記憶違いをしている可能性が大いにあります。また吹替版を観たため、原語のニュアンスから少しズレた解釈をしている可能性も、これまたあります。ご容赦ください(心の中のマグニフィコ「私の記事に偉そうに文句が言えるほどお前は完璧なのか?」)(いや、なんでもないです!こう考えると、やっぱりコイツの言ってること中々ヒドイですね)

 ②本作のヴィランであるマグニフィコ王に対し、割と好意的というか、擁護とも取れるような記述が散見されるかもしれませんが……マグニフィコは悪くないとか、アーシャの方がヴィランだとか、そういう論調には同意しません。禁書に手を出す前から、マグニフィコのやっていることは悪事です。どんな動機であれ。

 ③作品のテーマについて語る際に、少しばかり政治的な話をします。映画のことを考えるとき、避けては通れない重要な要素なのですが、苦手な方は、ここで引き返すことをオススメします。

 ④以下の作品について、ネタバレを含みます。作品の核となるような情報(たとえば推理モノの犯人を言っちゃうとか)は極力避けますが、これらの作品について「一切の事前情報を得ることなく楽しみたい!」という方にとっては、本記事は禁書です。

『ニモーナ』『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』『ワンダーウーマン1984』『ゾンビーズ3』『シュガー・ラッシュ

あと、当然ながら『ウィッシュ』のネタバレを大いに含みます。もはやそれしかありません。初期案や小説版の情報も盛り込まれています。重ねてご容赦ください。

"何に"モヤモヤしているのか

 さて、人々の願いを魔法で支配していた悪い王様は倒され、新たに即位した女王陛下のもと、王国の人々は(誰かに叶えてもらうのを待つのではなく)自分たちの力で願いを叶えることを誓い、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。

 ……うん、いい話ですね。どこに文句を言うところがあるのでしょう。その答えは、スターである皆さん一人一人が自分の力で見つけ出してもらうとして……僕が思うのは、以下の三点。

 ①まず「悪い王様」だったのか? 

 ②女王陛下万歳?

 ③いつまでも幸せに暮らした?

彼の名はマグニフィコ

⑴マグニフィコの罪とは?

 一つずつ整理していきましょう。まずは、最恐のヴィラン(公式サイトより)であるマグニフィコ王から。まぁ宣伝文句なので、あんまり真に受ける必要はないかもしれませんが、このキャッチコピーについても、一応あとで考えます。

 彼は物語の中で、絶対的な悪として憎まれ、コテンパンに打倒されます。少年少女らは、彼の顔が描かれたクッキーを踏み潰すほどの強い気持ちで、真実を掲げる"革命"を起こしました。食べ物を粗末にするのは日本の宗教的タブーなので(海外、少なくともアメリカではそこまで禁忌だと思われていない様子。文化の違いですね。同じディズニーの映画『ゾンビーズ』においても、差別に苦しむゾンビたちの家に生卵を投げつけるよう、差別主義者のチアリーダー・バッキーから命令された人間の主人公が、それを拒み、差別に立ち向かう強い気持ちを表現するため、近くにあったゴミ箱に生卵のパックをそのまま捨てる、というシーンがありました。僕だったら持って帰ってTKGにして食べるのに……)、アーシャたちを憎むあまり、マグニフィコを肯定してしまう人もいるかもしれませんね。

 作中において、マグニフィコは悪とされています。彼の罪はなんでしょう。願いを管理していたこと?叶える願いを選別していたこと?叶えない願いを返さないこと?……違います。アーシャも「危険な願いならやめさせればいい」と言っていたように(具体的にどうやめさせるんでしょうね)、願いを選別すること自体は悪ではない。なにより願い星のスターは、マグニフィコの願いを叶えてくれなかったじゃないですか(小説版には、そのことについての言及があるようです)。願いを管理するのも国民が望んだこと。返さないのも、それ自体が罪ではない。

 マグニフィコの罪とは、国民に嘘をついていることです。願いの選別も没収も、事前に国民に説明し、了承を得ていれば何も問題はなかったのです。それを了承して願いを差し出す人間が、いったい何人いるのかわかりませんが……。とにかく、マグニフィコは嘘をついていた。それが彼の罪。だからアーシャたちは真実を掲げるのです。

ポスト・トゥルースの時代のヴィラン

 僕は社会学者ではないので、聞き齧っただけの情報を語ることになるのですが(間違っていたら遠慮なく指摘してください)、現代はポスト・トゥルースの時代とも呼ばれています。これは、2016年のアメリカ大統領選挙(トランプが選ばれた時のやつ)の頃から多く使われるようになった表現で、噛み砕いて言うと、客観的な事実(トゥルース)よりも個人の感情へのアピールが重要視され、世論が形成されてしまうような、そんな時代のこと。悪質なデマやフェイクニュースプロパガンダが飛び交い、ファクトチェックは機能せず、そうやって形成された世論によって、選挙結果が左右され、政治が行われてしまう。

 映画『ウィッシュ』は、そんなトランプ政権下の2018年に企画がスタートしました。権力者の嘘は大罪で、真実は何よりも尊いめっちゃリベラルですね。僕は好きです。

 別に「マグニフィコはトランプだ」なんて言うつもりもないんですが、しかし持ち前のカリスマ性と都合の良い嘘で国民を煽動するマグニフィコの姿に、現実の権力者の影が、どこか重なって見えるのは確かです。そこに行けば夢が叶うとされる移民の国・ロサスを、現実のアメリと重ねるのは、より容易でしょう。

 同じくトランプ政権の時代に作られ、ポスト・トゥルースの時代をテーマに据えた映画ワンダーウーマン1984。こちらにも、嘘を駆使して人々の願いを集めるヴィランが登場します。現代社会の状況を反映した物語における、悪役の典型なんでしょうね。また後ほど、詳しく触れます。

⑶このヴィランに世界が夢中!

「ウィッシュ」SPOT|【このヴィランに世界が夢中!】編|大ヒット上映中! - YouTube

 マグニフィコの所業が悪であることがハッキリした以上、それを打倒し、彼の嘘による支配を終わらせる正当性が、アーシャたちには確かにあるのですが……。

 ここで気になるのは、果たして彼は「悪いだけの人」だったのか?ということ。この記事を読んでいる方々にとっては自明のことであろうが、答えはノーである。序盤から多くの観客が心を掴まれたであろう、彼の過去。焼けて千切れたタペストリー。言動の端々から滲み出る、不安と焦燥

 私はかねてより、魅力的な悪役の三要素として「カス」「共感」「同情」を挙げています。カスのような悪業。共感を呼ぶ主義主張。同情を誘うバックボーン。それらが揃った悪役は、大抵の場合、名悪役となるのです。マグニフィコは「共感」と「同情」が強すぎて、「カス」が霞んでしまっているように感じます。一部ですが、マグニフィコの言動からこれらの要素に振り分けられるものを、列挙してみましょう。

「同情」

・故郷を滅ぼされている(クーデターで滅びたんじゃないかと私は睨んでいる。だから反乱を執拗に恐れる)

・幼くして両親を亡くしている(『無礼者たちへ』の冒頭で、自分の長所として顔面と名前を真っ先に挙げている。亡き両親が唯一自分に遺してくれたもの)

・夢が叶わないことの苦しみを知っている(小説版で、スターに対し「私がお前を必要としている時にどこにいた?」と発言しているらしい。つらい)

・めちゃくちゃストレスに弱い(『無礼者たちへ』を観てください。情熱、冷静、慈悲の三連コンボのとき、ずっと口角下がってるんですよ。もう限界なんですよこのおじさん)

・爺さんのギターに国家転覆の危険性を感じるくらいの不安を抱えているのに、いきなりスターとかいうワケわからんもんが飛んできて、精神に変調を来した結果、禁書に手を出してしまう(その凶行が過去のつらい経験に起因していると推測できる以上、一方的に叩くのは心が痛む)

・誰にも心を開けず、たった一人で王国を守ってきた(王妃も敵に回っちゃうもんなぁ。別に彼女が悪いわけではないが……。序盤、出会ったばかりのアーシャにシンパシーを感じ、デュエットして王国の秘密まで開陳したのは、本当に奇跡なんだと思う。そこまでアーシャに入れ込んだのは、彼女も親を亡くしているからでしょう?自分を重ねたんでしょう?だいたい、自分が夢が叶わなくてつらかったから、みんながそんな思いをしないで済むような王国を作ろう!と思って行動できる時点で、アンタほんとにすげぇよ)

「共感」

・一応、平和で豊かな国を運営している(願いを一つ差し出すだけで、大して税金も取られない安全な国で暮らせるんなら、喜んでマグニフィコに忠誠を誓おう!という人は少なくないと思う)

・独学で魔法を習得した(努力家はみんな好き)

・休日の趣味はボランティア(文字通り受け取るなら立派な行いである)

・求めるのは感謝の気持ちだけ(質問しただけで無礼者扱いはちょっとアレだが、とりあえず褒めておけば害はない。それにみんな感謝はされたい)

・孤児や障がい者も雇用している(えらい)

・既に他界した国民の職業も把握している(ぜったいアーシャのパパと過去になんかあったって、ずっと思ってるんだけど、なんもなかった……)

・アーシャの家族を経済的に支援していた(小説版で明かされたらしい。あしながマグニフィコおじさん)

・見た目も声もいい(やはりそこは無視できない)

「カス」

・国民に嘘をついていた(でもそれは過去のトラウマに起因する過剰な不安によるもので……誰も傷付かない王国を作りたかったのであって……)

・爺さんの「ギターを弾きたい」という、ささやかな願いすら認めない(怖がりが過ぎる。プロパガンダ音楽は認めてるんだよね。ディストピアだぁ……。もう少し寛容さがあれば、革命を起こされることもなかったんじゃないかな)

・ベニートの服を剥いで貧しい君へ(人の服を剥ぐのはよくない)

・休日の趣味はボランティア(ベニートの〜からの流れでこう歌っているので、自分で放火して鎮火するマッチポンプヒーローごっこをやってたんじゃないか、と解釈している)

・禁書に手を出した(気持ちはわかる)

 禁書に手を出して以降の言動は、明らかにそれ以前のマグニフィコのそれとは違う意志を感じさせるものです。「裏の顔」や「本性」と呼ばれるようなものでは、ないんじゃないかな……と僕は思うんだけど。どうだろう。マグニフィコに甘い解釈だろうか。とはいえ、制御できない力に手を出したのがマグニフィコ本人の意志であることは間違いないので、どのみちマグニフィコに責任があるのは確かなのですが。

 さて、ザッと並べてみました。あくまで私の独断と偏見によるものなので、偏りがあることは否めませんが。やっぱり、こうして見てみると(考えてみると)単純に悪いだけの人、倒されるためのヴィラン、絶対悪……と呼ぶのが憚られるような気がしてきませんか。おっさんの苦労話なんざ知ったこっちゃねぇ、という意見もあるでしょうけど。こうも「同情」や「共感」を誘うキャラ造形をしているのに、マグニフィコは映画の中で、絶対悪として退治されてしまいます。

⑷では、どうしてほしかったのか?

 対話です。最初に答えを言ってしまいました。絶対悪として一方的に断じてしまうのではなく、きちんと話し合って、互いの意見をぶつけ合って、相互理解を目指してほしかった。意見をぶつけたら「なんて無礼な!」ってブチギレるから、難しいだろうけど、それでも話し合ってほしかった。話し合うべきだった。だって、マグニフィコは絶対悪ではないのだから。悪役を排除することがハッピーエンドになるのなら、その悪役は対話の余地がない絶対悪でないといけない。対話すべきであった人を、対話せずに倒してしまったのなら……それはバッドエンドだろう。

 『ウィッシュ』と同じ2023年に公開(配信)された『ニモーナ』という映画があります。外敵を極度に恐れたヴィランが、制御不可能なパワーに手を出し、結果として命を落としてしまう……という、やや似ている話なのですが(マグニフィコは死んではいないですね)。『ニモーナ』のいいところは、終盤、物語の語り手が「全ての人がハッピーエンドを迎えられるわけではない」と言ってくれること。この言葉が何を指すのかは、様々な解釈の形があるでしょう。何を指すにしろ、現代社会の状況を反映した物語において、これは最も真摯で誠実な態度だと、僕は思います。だって僕たちの世界に「いつまでも幸せに暮らしました」なんてオチは、ないのだから。

『ニモーナ』予告編 - Netflix - YouTube

 先述のワンダーウーマン1984に登場する、明らかにトランプを意識したヴィランマックスウェル・ロード。彼は対話を経験します。ワンダーウーマン"真実の投げ縄"を通じて、観客は彼のつらい過去を知ることに。貧しく暴力的な家庭で育ち、周囲の人々からは移民として迫害され、強烈な上昇志向に取り憑かれてしまった男。息子に誇れる父親になりたい一心から、禁忌のパワーに手を出し、人々の願いを無制限に叶え始めます。その結果、世界は大混乱に陥り、核戦争寸前の危機的状況となってしまいました。世界を救うため、居心地の良い嘘を否定し、つらい現実に目を向けたワンダーウーマン。彼女との対話を経て、マックスは息子を守るために、禁忌のパワーを自ら手放します。

映画『ワンダーウーマン 1984』US予告2 2020年12月18日(金) 全国ロードショー - YouTube

 そんなワンダーウーマンと世界観を共有する映画バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』においても、対話は重要な要素です。目の前で両親を殺害されたトラウマから、犯罪者に私刑を下す闇の騎士・バットマンとなった男、ブルース・ウェイン。宇宙からやってきたヒーロー・スーパーマンを倒すべき敵だと思い込んでいた彼ですが、対話を経て、スーパーマンもまた一人の人間であることを認識し、和解します。作中の印象的な台詞に、こんなものがありました。「民主主義において正義とは対話です」

映画『ザ・フラッシュ』公開記念【予告編】『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』BD/DVD/4K UHD発売中&デジタル配信中 - YouTube

 とはいえ、誰もが対話すれば仲良くなれると思うほど、僕も能天気ではありません。最後まで分かり合えないこともあるでしょう。ディズニーの映画ゾンビーズ3』のラストは、カリスマ性溢れる差別主義者のバッキーが、たった一人で宇宙に旅立つ、というもの。本人はノリノリですが、要するにこれは追放でしょう。映画三本を費やして、多くの差別が乗り越えられていく過程を目の当たりにしながら、そして対話も繰り返しながら、それでもバッキーは全く変わらず、差別主義者であり続けました。そんな彼の追放で、シリーズは終わりを迎えます。差別主義者に居場所はない、という強いメッセージでしょう。マグニフィコの末路も、これを踏襲したものかもしれませんが……かたや映画三本分の対話、かたやまともな対話無しです。たとえ相互理解に至ることができなかったとしても、対話しようとする意志は示してほしかった。

ゾンビーズ3|予告編|Disney+ (ディズニープラス) - YouTube

 幸い、マグニフィコはまだ生きているので……もし続編があるのなら、今度こそ対話してくれることを祈ります(小説版のラストは「いつまでも幸せに暮らしましたとさ。ひとまずおしまい。」とのこと。やや含みのある終わり方ですね。素直に受け取れば続編へのフラグでしょうか。完全無欠のハッピーエンドではないよ、と言っているようで、好感が持てます。映画本編もこのオチなら、僕はこんな長文を書かずに済んだかもしれない……)

⑸最恐のヴィランとは?

 と、マグニフィコに甘いことをつらつらと書きましたが、とはいえヤツのやったことは明確に悪いことです。現実において、嘘で民衆を煽動する権力者がもたらす害悪を想像したら、背筋が凍りますね。そういうトランプ的な要素をもって、マグニフィコを"最恐のヴィラン"と呼んでいるのでしょうか、公式は。まぁ気持ちはわからなくないですが……先述したように「マグニフィコ=トランプ」では決してないのです。ロサス=アメリカでもない。たとえモデルにしていたとしても、細部は全然違う。それを雑にまとめて、トランプの罪=マグニフィコの罪、とするのは乱暴でしょう。それはキャラクターじゃないじゃん。生命を宿した人物ではなく、作り手のメッセージ性の依代としてのみ機能する、記号というか。こういう記号的なところは、アーシャもそうだし、『ウィッシュ』という作品全体に通底する問題点だと思うのですが、詳しくは後述します。

 マグニフィコの悪事は、ちょっと伝わりづらいというか……「マグニフィコは悪くない!」と考える人の気持ちも、わからなくはないんです。わかりやすく人を殺して回るわけでもないし。可哀想な過去もついてくる。何より顔がいいし、声もいいし、かわいいし。マグニフィコ擁護派とマグニフィコ否定派の間にある溝。この"分断"こそ、作り手の思惑だったのなら、凄まじいキャラ造形と作劇だなぁ……と思って、心底感心するのですが。たぶんそういうことではないでしょう。創作物で分断を煽らないでほしいし。そういう、現実を侵食してくるタイプの"最恐のヴィラン"となることを狙っていたのなら、すごいことだけど……。

⑹公式とマグニフィコ

 公式が言い出した"最恐のヴィラン"ですが、最近はどうも、公式がマグニフィコをどうしたいのか、よくわからなくなってきました。

「ウィッシュ」特別映像|名悪役マグニフィコ王が歌う「無礼者たちへ」曲に息吹を吹きこまれる瞬間!|大ヒット上映中! - YouTube

 日本で1月10日に公開されたこちらの映像では、脚本を担当したジェニファー・リー(アナ雪を監督してて僕は結構好きなのだが)が「マグニフィコ王は典型的なディズニーの悪役」と語り、監督のクリス・バック「分かりやすい悪役」と言っている。いつ撮られた映像かわからないが、公式のスタンスとしては正解でしょう。悪いものは悪い。僕もそこは認めている。対処の方法がよくなかったね、と言っているだけで。

https://x.com/disneystudiojp/status/1750096106061517150?s=46&t=nP41nelSPAhbfd7kvr8c9A

 ところが1月24日、先ほどの映像を投稿したのと同じディズニー・スタジオ公式が、Xにこのようなポストをしている。#マグニフィコ王を称えようだそうです。あんたらが封印しておいて……と思うのですが。なんだろう、作品のメッセージとマーケティングが喧嘩している。公式はマグニフィコをどうしたいんだ。ヴィランとして人気を出させたいのか、擁護派を盛り上げたいのか。やはり分断を煽る、現実を侵食するタイプのヴィランだったのかもしれない。マグニフィコ恐るべし。

「女王陛下万歳!」

 やっと次のトピックへ行けます。最初にキチンと断っておく必要があるのは、別に女王が即位することをポリコレだからダメだのなんだの言うつもりは、全くないということ。僕がモヤモヤしているのは、みんなついさっきまで、今こそ革命の時!足踏みならせドンドンドン!つってたのに、王政は維持するんすね〜っていう。権力の構造は残すんだ。別に、一足飛びに共和制民主主義まで行っても良かったんじゃない?とか思ったり。

 実際、同じディズニーのアニメ映画でも、10年前のシュガー・ラッシュでは、国民の記憶を改竄し、自分だけに都合の良いディストピアを築き上げていた国王(既視感がありますね)を打倒して、ヒロインのヴァネロペが真の王となる展開があるんですけど、彼女はその場でドレスを脱ぎ捨て「この国は共和国にする!代表は選挙で選ぶ!」とめちゃくちゃ立派なことを言い出すんですね。まぁゲームキャラなので、そういう発想がプログラムされている子なんでしょうけど。10年前にできていたことが、どうして今はできないのだろう。

シュガー・ラッシュ | 予告編 | Disney+ (ディズニープラス) - YouTube

 『ウィッシュ』の初期案では、マグニフィコ王と共に、アマヤ王妃もヴィランだったそうです。もし二人とも退治されていたら、その後のロサス政治はどのような転換を迎えていたのでしょうか。

いつまでも幸せに

⑴社会と寓話とハッピーエンド

 先ほど『ニモーナ』について触れた時にも、ちょっと書きましたが、現実世界の状況を反映した物語の結末が、御伽噺のような完全無欠のハッピーエンドなのは、どう考えてもおかしいと思うのです。御伽噺が嫌いなわけではなくて。寓話は、個人の救済を描く物語において、極めて有効な表現手法だと思っています。さっきのシュガー・ラッシュシリーズや『アナ雪』シリーズもそうですし(アナ雪2はちょっと社会の話もありましたが)、『レゴバットマン ザ・ムービー』は、そのような救済の寓話として完璧に近い出来の作品です。ただ、それを現実社会の諸問題とリンクさせた時、どうしても齟齬が生じてしまう。その齟齬を、無理やりなハッピーエンドで押し通そうとする作品を、欺瞞だな、と僕は思います。『ウィッシュ』と、あとズートピアも(飛び火)。どうしてもハッピーエンドにしなきゃだめですかね。

 勘違いしてほしくないのは、僕は何も、アニメや映画で政治の話をするな、と言っているわけではないのです。むしろどんどんやってほしいんだけど、やるんなら「みんな幸せに暮らしました」は無いだろうと。その「みんな」の中に僕はいないなと、思うだけです。

 寓話で社会問題を扱う場合は『ニモーナ』のように「全ての人がハッピーエンドを迎えられるわけではない」と示した方が、ずっと真摯で誠実だと思う。課題は山積で、苦しみは絶えないけれど、それでも微かな希望を信じる。『ウィッシュ』も、そんな終わり方で良かったのでは。

⑵始まりに過ぎない

 誰かに叶えてもらうのでなく、自分の力で願いを叶えるんだ、というのは立派なことですが……別にそれはゴールではなくて、スタートラインに立っただけではないでしょうか。そもそも、願いを人に捧げて叶えられるのを待つなんていう、マグニフィコ・システムの支配下にあるのが異常なのであって。国王の庇護下から飛び出し、異常を正常に戻しただけのこと。とはいえ、殻を破り飛び立とうとする、その決意・覚悟は尊いものです。願いを叶える冒険は今これから始まる。その気高さを表す語彙は「幸せに暮らしました」ではない、と思う。

まとめ

 一旦、まとめます。最大のモヤモヤポイントはマグニフィコ王の扱い(絶対悪ではないのに対話を経ずに退治されてしまう)であり、その原因は、ラストの「いつまでも幸せに暮らしました」に代表される、本作の寓話性("政治的な教訓を伝えるための例え話"としての作劇)にある。政治的な寓話がダメだなどとは、天地がひっくり返っても言うつもりはない。『ニモーナ』はまさにそれをやって大成功しているので。

 あまりにも"寓話過ぎる"のです。純化された、記号的で一面的な物語。「ロサス=アメリカ」「マグニフィコ=トランプ」という、記号としての役割しか与えられていないキャラクターたち(それをキャラクターとは言わない気がする)。アーシャも、その仲間たちも、みんな記号です。理念が服を着て歩いている。思想の擬人化。生きた人間の感情がない。生きた感情を持っているのは、ただ一人、マグニフィコ王だけなのです。

 過去のトラウマ、つらい体験。それらに起因する不安と焦燥。ストレスと秘密を抱えながらも、自分なりの善行を貫こうとする強い意志。それを実現させるための、弛まぬ努力。彼のとった「禁断の最終手段」とは、国民を脅したり殺したりするのでなく、自らの精神と尊厳を悪魔に売り渡すこと。

 繰り返しますが、間違いなく彼のやっていたことは悪行です。しかし、そのような凶行に至ったのも、彼が"人間であるから"こそ。記号ではない。ましてトランプその人でもない。彼の名はマグニフィコ。ロサスの偉大な王、と思われていただけの、一人の弱い人間です。

 しかし「移民の国(アメリカ)で、"嘘"をついて願いを奪う悪の権力者(トランプ)に、少年少女が"真実"を掲げることで立ち向かい、歌の力で革命を起こし、願いを取り戻す」という、現代アメリカの状況を反映した、希望と革命の寓話において、マグニフィコは絶対悪の記号となってしまう。生きた感情を持つ、対話すべき人間ではなく。アーシャと仲間たちは絶対的な正義であり、それゆえに彼らは「いつまでも幸せに」暮らす。

 現実ってそんなことないじゃないですか。別に、物語の中で希望を見せるのは結構だけど、綺麗事を言い続けるのも尊いことだけど……でも、人間を記号にしてしまう物語に、悪いけど感情移入はできない。戦争や虐殺が続く現代で、このメッセージ性は、ちょっと欺瞞じゃないかな。

 相手を対話不可能な絶対悪と決めつけて、排除することが幸せな結末?今の世界情勢を見て、本気でそう思ってるの?

 バッドエンド(ビターエンド)にするか、対話して和解するか、対話したけど和解できず追放するか……色んな選択肢があったはず。この終わり方は違う、と思う。どうしてマグニフィコを、こんなに魅力的に描いたんだ。やはり観客の分断を煽るため?どうかと思うぞ、それは……。

結論(仮)

 さて、モヤモヤが晴れたような、ますます深まったような……。寓話性が強すぎて、作品の構造と、マグニフィコ以外の登場人物が全て"記号"と化しており、そんな物語には感情移入できないし、そんなメッセージは欺瞞だと思う……というのが、今の私の答えです。今後も考え続けていきますし、どうしてこういうことになったのか、の検証も行っていくつもりです。長い間お付き合い頂き、どうもありがとうございました。皆さんの願いが叶いますよう。あるいは、叶えられなかった願いの苦しみから解放されますよう。

 

 

余談:ウィッシュとニモーナ

 『ニモーナ』は、クィア表現を含む作品です。当たり前のようにゲイカップルが登場し、また主人公ニモーナも、特定の性別や見た目に縛られないキャラクターとして描かれています。もともとはディズニーで製作されていました。というか、ディズニーが買収した20世紀フォックスのアニメーション部門が作っていたのですが。経営的判断によって、一度は製作中止の憂き目に遭います。ただ、捨てる神あれば拾う神ありで、Netflixの出資によって、なんとか配信にこぎつけることが叶ったのです。

 2022年には、ディズニーが傘下のピクサーに対し、LGBTQ+のキャラクターやその愛情表現の描写を削除するよう検閲していた、という内部告発がありました。『ニモーナ』と関係があるかどうか、わかりませんが……。

 ところで『ニモーナ』と『ウィッシュ』には、似ている点がいくつかあります。まずはキャラクターデザイン。バリスターとマグニフィコ、校長とアマヤ王妃。それから、初期案では何にでも変身できる少年の姿だったというスターと、何にでも変身できるニモーナ。外敵の脅威に怯えたヴィランが、禁忌のパワーに手を伸ばし、自らの破滅を招いてしまうオチも似ていますね。

 うーん、偶然でしょうか……。