まえがき
映画『裏切りのサーカス』は、出演している俳優陣が豪華であることや、高い評価を受けていることなどから、人から勧められることの多い作品です(その主犯は僕かもしれませんが)。しかし、本作のストーリーはやや難解であり、一度の鑑賞で全てを把握するのは、ほぼ不可能だと言ってもいいでしょう(僕はもう二十回以上観てますが、今でも観るたびに発見があります)。なぜ難解なのか、その詳しい理由は後述しますが……。単純に、イギリス人やロシア人の人名、世界各地の地名、本作独自の固有名詞など、聞き慣れない横文字が無数に飛び交っているため、一度でも「この人誰だっけ」、「今は何の話をしてるんだっけ」と戸惑えば、展開に置いて行かれてしまう危険性が拭えないのです。
わからないものをわからないままに味わうのも、それはそれで楽しいですし、全部わからなければつまらない、というような映画でもありません。しかし、最初からある程度話の筋がわかっていないと嫌だったり、置いて行かれると楽しめなかったり、そもそもスパイってなんだ、冷戦ってなんだ、という方もいらっしゃるでしょう。そういう方々のために、ネタバレにならない範囲で、教えられることを教えておきたい……。それが、本記事の趣旨です。
この文章を読んでいるということは、映画『裏切りのサーカス』に興味がおありなんでしょう。この記事によって、あなたの映画体験が少しでもより良いものになることを祈ります。
追記(2024/07/18)。本作はアマプラやネトフリなどの有名サブスクでは、あまり配信されていません。U-NEXTにすらないし、劇場での再上映も絶望的です(権利がもう切れたのだとか)。一応、Apple TVでレンタルが可能ですし、YouTubeのレンタルでも観ることができるようです。どうぞお楽しみください。
「ネタバレ深度」システム
本記事は、映画『裏切りのサーカス』をこれから観る人に向けて書かれたものですが、作品の情報を整理し、映画の魅力や楽しみ方のヒントを紹介する文章であるため、「一度観たけど、よくわからなくて楽しめなかった」というような方にも、ぜひ読んでいただきたい内容となっております。
そのような性質上、ネタバレを避けつつも、ある程度は作品内部の展開にまで踏み込まなければならない……という、ジレンマを抱えた記事となっているのですが、そこをなんとかするため、今回は独自に「ネタバレ深度」システムを導入しております。文章が進むにつれ、少しずつネタバレの深度が増していく仕組みです。具体的には、
①基本情報(キャストやスタッフ、受賞歴など)
②舞台設定(時代や場所、歴史的背景など)
③あらすじ・登場人物(簡単なプロフィール)
④楽しみ方のヒント(鑑賞のコツを解説)
⑤個人的な感想(具体的にどこが好きなのか)
といった具合になっています。何をネタバレと見なすか、読者の皆様が各々に解釈し、どこまで読むかを判断していただけると助かります。仮に、本記事を最後まで読んでいただいたとしても、物語の核心となるような情報は含まれていません。何を核心と見なすかも、また人によるのですが。
「一切の事前情報を入れずに、初見のパッションで楽しみたい」、「わからないという感覚が面白い」というような方は、ここで引き返すことをオススメします(嫌味ではなくて本当に)。どうぞお楽しみください。二時間後お会いしましょう。感想聞かせてね。
そう、なぜ僕がここまで面倒なことをするのかというと、全ては、多くの人に『裏切りのサーカス』を観てもらうため、そして初見の感想を浴びるためなんですね。僕は『裏サー』が大好きで、その初見感想を食べて生きる妖怪なので。せっかくなら、より良質な初見感想を食べたい。
しかし本作は、公式で複数回鑑賞が推奨されている、と解釈できるくらい(日本版ポスターのキャッチコピー"一度目、あなたを欺く。二度目、真実が見える。"より)難解な作品であり、軽い気持ちで挑むと痛い目を見る可能性もあるのです(その分、ハマると怖いですよ)。初見の人が楽しみやすいように、杖を持たせ、道標を示したい。そして、より美味しい感想を引き出したい。それだけのことです。あとで食べさせ、いや、聞かせてね。感想を。
深度①:作品の基本的な情報
wikiから引っ張ってきますね。
『裏切りのサーカス』(うらぎりのサーカス、原題: Tinker Tailor Soldier Spy)は、2011年のイギリス・フランス・ドイツ合作のスパイ映画。ジョン・ル・カレの1974年の小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を、ブリジット・オコナーとピーター・ストローハンが脚本化し、トーマス・アルフレッドソンが監督した作品である。主人公のジョージ・スマイリーをゲイリー・オールドマンが演じ、コリン・ファース、トム・ハーディ、ジョン・ハート、トビー・ジョーンズ、マーク・ストロング、ベネディクト・カンバーバッチ、キアラン・ハインズらが共演する。
そう、『裏切りのサーカス』ってサーカス団の映画じゃなくて、スパイの映画なんですよ。実際にイギリスの秘密情報部MI6で勤務していた経験のある作家、ジョン・ル・カレの小説を原作としています。本物のスパイが書いたスパイ小説なんですね。
主演のゲイリー・オールドマンは、ハリポタのシリウス・ブラックで有名らしいです(僕は『レオン』の汚職刑事・スタンの怪演っぷりが印象深いですね。暖簾をかき分けて入室するときは、ぜったいスタンの真似します)。コリン・ファースとマーク・ストロングは、同じイギリスのスパイ映画『キングスマン』でそれぞれハリーとマーリンを演じていますね。トム・ハーディは『ヴェノム』の人、カンバーバッチは『ドクター・ストレンジ』の人です。あと『SHERLOCK』でも有名か。
本作は第84回アカデミー賞の主演男優賞、脚色賞、作曲賞にノミネートされていました。受賞はしていません(まったく信じられない。オスカーなんかアテにしちゃいけませんよ)。
撮影のホイテ・ヴァン・ホイテマも割と有名な人かと。近年ではクリストファー・ノーラン監督と組むことが多く、『インターステラー』、『ダンケルク』、『TENET』、『オッペンハイマー』で撮影を担当。他にも多くの話題作に関わってらっしゃいます。
日本ではR15+指定となっている本作。割とグロい遺体が映る場面と、軽いセックスシーンの存在が理由でしょうか。苦手な方はご注意を。
深度②:物語の舞台設定
物語の舞台となるのは、1970年代のイギリス。ちょうど原作小説が発表された時期ですね。イギリスの秘密情報部MI6、通称「サーカス」に所属する人々の活躍が描かれています。ケンブリッジ・サーカス(地名)というところに本部があることから、サーカスと呼ぶようになったとか。
世はまさに、東西冷戦の真っ只中。第二次世界大戦後の、アメリカ・ヨーロッパ諸国を始めとする西側(資本主義)と、ソビエト連邦を中心とする東側(共産主義)とに、世界が二分されていた時代です。西側に属するイギリス、サーカスの面々もまた、東側ソ連の情報機関KGB、通称「モスクワ・センター」と水面下で情報戦を繰り広げていました(ちなみにアメリカの対外情報機関はCIA)。
作中では登場人物たちが、ハンガリーに行ったりイスタンブールに行ったり、アメリカに行ったりフランスに行ったりしますが、別にどこの国がどこの勢力で、みたいなことまで把握しておく必要はないでしょう。とりあえず冷戦と、サーカスと、モスクワ・センターだけ憶えておけば充分だと思います。気負う必要はありません。楽しい映画ですよ。
余談:英国とスパイ。本作が難解な理由。
当時はまさに、スパイ全盛の時代と言ってよいでしょう。各国に飛び、交渉したり尋問したり、有力者を亡命させたりして、情報を獲得し、国際社会において自国が有利となるよう働きかける。それがスパイのお仕事。彼らの行動一つ一つが、戦争を止めるキッカケにも、起こすキッカケにもなり得る、重大な職務です。その重圧や、他人に秘密を明かせない孤独などから、強烈なストレスのかかる役割であるとも言えますね。原作者ジョン・ル・カレもまた、そのようなスパイの世界に身を置いていたのです。
秘密の職業であるはずのスパイの活躍が、英国において、小説や映画などの創作物として多く作られ、親しまれていたのは、ある種のプロパガンダであった……とする考えもあります。実態を直接明かすことはないままに、国民の理解を得るための方便として、それらの創作物が利用されたのではないかと。
007(ジェームズ・ボンド)を始めとする、多くのスパイ創作が英国で生まれ、愛されてきました。アメリカの西部劇、日本の時代劇みたいなもんで、多くの読者・観客にとっての馴染み深いジャンルとして、すっかり確立されているのです。そのジャンルのお決まり……たとえば敵国美人スパイとの禁じられた恋とか、騙し合いの諜報合戦とか、第三次大戦を引き起こそうとする謎の秘密結社とか……そういう"文脈"が、英国の読者・観客に共有されています。説明せずともわかる、自明のこととして。
さらに本作の原作小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は、過去に一度ドラマ化され、幅広い世代からの支持を集めていました。つまりメインの観客層である英国の人々は、その多くが、本作の登場人物も、話の筋も、事の顛末も、既に知っているのです。お馴染みなのです。
本作(映画『裏切りのサーカス』)が難解である理由が、ここにあります。そもそも英国の観客たちはスパイものに明るく、また原作の展開も知っている場合が多いため、説明し過ぎる作劇だと観客が退屈してしまう。説明を最小限に留め、あくまで謎解きではなく、登場人物の心理描写や演出の巧さで勝負しているのです。それを、スパイものの"文脈"も原作の展開も知らない我々が観ると、難解に思えてしまう。このような事情があるのだと推測されます。
深度③:簡単なあらすじ、簡単な登場人物紹介
さて、時は東西冷戦下の70年代。イギリス秘密情報部「サーカス」の長官であるコントロールは、長年の作戦失敗や情報漏洩から、サーカス内部に、それも幹部の内の誰かに、モスクワ・センターと通じている二重スパイ「もぐら」がいることを確信していました。密かに、童謡の「鋳掛け屋さん(ティンカー)、仕立て屋さん(テイラー)、兵隊さん(ソルジャー)」の歌詞になぞらえたコードで幹部たちの身辺を調査しつつ、部下のジム・プリドーをハンガリーへと派遣して、「もぐら」の情報源と接触させますが……。
コントロール(演:ジョン・ハート)……サーカスの長官。二重スパイ「もぐら」の存在を疑い、非公式の作戦を立案し、ジム・プリドーをハンガリーへ送り込むが……。
ジム・プリドー(演:マーク・ストロング)……サーカスの工作員。コントロールの指示で、「もぐら」の情報を持つという将軍の仲介役と接触するが……。ビル・ヘイドンの親友。
ジョージ・スマイリー(演:ゲイリー・オールドマン)……本作の主人公。サーカス幹部で、コントロールの右腕。レイコン外務次官の要請により、「もぐら」の捜査に乗り出す。妻のアンとは上手く行っていない様子。
ピーター・ギラム(演:ベネディクト・カンバーバッチ)……サーカスの工作員。スマイリーに要請され、「もぐら」探しのチームの一員となる。
リッキー・ター(演:トム・ハーディ)……サーカスの工作員。ギラムの部下。イスタンブールに派遣されていた。独自に「もぐら」の情報を掴むが……。
パーシー・アレリン(演:トビー・ジョーンズ)……サーカス幹部。「ウィッチクラフト作戦」と呼ばれる独自の情報網を持つ。スコットランド出身。付けられたコードは「ティンカー(鋳掛け屋」。
ビル・ヘイドン(演:コリン・ファース)……サーカス幹部。若い女性職員に声をかけるなど、好色家で知られる。ジム・プリドーの親友。コードは「テイラー(仕立て屋)」。
ロイ・ブランド(演:キアラン・ハインズ)……サーカス幹部。労働者階級出身。コードは「ソルジャー(兵隊)」。
トビー・エスタヘイス(演:デヴィッド・デンシック)……サーカス幹部。元は東側出身のお尋ね者で、コントロールに拾われて栄達した。コードは「プアマン(貧乏人)」。
オリヴァー・レイコン(演:サイモン・マクバーニー)……英国の外務次官で、サーカス直属の上司。コントロールからの警告と、ターからのタレコミを受け、スマイリーに「もぐら」の調査を要請する。
カーラ(演:マイケル・サーン)……ソ連の大物スパイで、モスクワ・センター幹部。「もぐら」を操っていると目されている。
深度④:楽しみ方のヒント
ここまで読み進めたあなたは、「なんて難しそうな映画なんだろう」と身構えていらっしゃるかもしれませんね。しかし、繰り返しますが、必要以上に気負う必要はないのです(気負わせている張本人が言うことではありませんが)。これから紹介する、映画『裏切りのサーカス』を楽しむためのちょっとしたコツ、心構えを実践していただければ、きっと楽しい映画体験になることと思います。それだけ素晴らしい映画なのです。せっかくの美味しい食べ物だから、より美味しい食べ方を知ってもらいたい。僕の気持ちはそれだけです(それだけですよ)。
①謎解きよりも心情描写を
本作は、組織の裏切り者「もぐら」の正体を突き止める物語であるため、ジャンルはミステリーだと捉えられがちですが(実際その側面はあるのでしょうけど)、その実、この映画が主に描こうとしているのは、スパイたちの人間模様です。先ほどの余談にあるように、メインの観客となる英国の人々は原作小説の結末を知っているので、どうしても、謎解きが主題にはなり得ないのです。見事な脚色、構成、作劇。そして俳優たちの演技。素晴らしい演出。それらの超絶技巧を駆使して、彼ら諜報員の胸中を描いてみせたのです。謎を追うより、一人一人の心情を追ってみてください。素晴らしい結末が待っていますよ。
②困ったら登場人物一覧を
それでも、登場人物が多くて何が何だか、心情うんぬん依然に、誰が誰だかわからん、となってしまう可能性もありますので、ぜひ先述した登場人物のプロフィールをスクショか何かしておいて、それを度々参照しながら観ると、少しは混乱が減るかと思われます(スクショしてもらわない方が、僕のアクセス数は伸びそうですけど)。
どうしても気になる場合は、自分でメモを取りながら観るのもアリでしょう。先ほどのプロフィールは、あくまでも最低限の情報のみを記載したものであるため、作中で発覚した新事実を書き込んでいくのも楽しそうですね。謎解きはしなくていい、と言いましたが、一周目から謎も解きたい!心情も追いたい!全部わかりたい!という欲張りな方には、メモをオススメします。一時停止しながら観てたら、最後まで観るのにめっちゃ時間かかりそうですけどね。
③複数回鑑賞を恐れないで
そもそも、僕みたいに二十回観てしまえば、わからないなんて不安は消し飛ぶわけです。冒頭で書いたように、本作の日本版キャッチコピーは"一度目、あなたを欺く。二度目、真実が見える。"ですから、一度目でよくわからなくても恥ではありません。最初から全部わかる必要は、全くないのです。"謎解きよりも心情描写を"追ってくれていたら、きっと本作のラストで「よくわからないけど感動した」ような感覚を味わうと思います。その感動を原動力に、ぜひ二周目に突入してみてください。一周目では見えなかったことが、途端によく見えるようになり、「なんて考え抜かれた(作り込まれた)映画なんだ!」と更なる感動を味わうこと間違いなしです。そうこうしている内に、気づくと二十周してるんですよね。
繰り返したいのは、謎解きは気にしなくていいこと。そして、最初から全部わかる必要はないということ。それこそ、初見のパッションで、普遍的な人間の心理を感じ取っていただければ、きっと満足度の高い映画体験になると思います。それだけのポテンシャルを秘めた映画です。
観終わってからわからないことがあれば、僕に質問してくれてもいいですし(わかる範囲で答えます)、先人の素晴らしい解説がありますので、そちらを読むのも良いでしょう。紹介しておきます。
よくわかる『裏切りのサーカス』全解説
(東京情報大学)
http://www.rsch.tuis.ac.jp/~ito/research/TTSS_description/TTSS_description.htm
深度⑤:個人的な感想
※ネタバレ注意!
とはいえ、やっぱり核心に至るようなこと(それこそ「もぐら」の正体とか)は言いません。僕が『裏切りのサーカス』に惚れ込む理由。何がいいのか、どこが好きなのか、それをディテールはボカしつつ、同時に中身のある話をしていきたいと思います。そんなことできるだろうか。抽象的で具体的な話。ネタバレに対する抵抗感の薄い方はお読みください。映画を観た後で読んでいただいても嬉しいです。
男性社会の悲劇
先ほどの登場人物一覧を観てわかるように、本作の登場人物(名前のあるキャラクター)は九割が男性です。書いてないだけで、女性のキャラクターも存在しますし、重要な役割を担っているんですけどね。しかし実際問題、高度な政治的決定の行われる場において、男性たちの男性たちによる男性たちのための論理が罷り通ることは、往々にしてありますね。70年代も現代も。女性や性的マイノリティ。また男性であっても、何かしら出自や過去に後ろ暗い(と判断される)ものがある者は、抑圧され排除され、いないことにされてしまう。本作でも、それは明確に描かれています。当たり前のように女性は除け者にされ、利用され、消費される。正しいことを言っても聞いてもらえない。男たちが、男たちの都合で始めたゲームにおいて、駒として使い捨てられ、顧みられることのない女たち。その悲劇性をキッチリと描いてみせています。
同時に、男たちが男たちの都合で始めたゲームは、その男たち自身をも苦しめ、疲弊させ、擦り潰していきます。誰もが疲れているのです。終わりのない冷戦という構造に。それは先の見えない現代社会に生きる我々と、似たものがあるように思えてなりません。忠誠心、愛、美学。男たちがそれぞれに抱える、切実な思惑が交錯していきます。"孤独な魂が交錯する時、浮かび上がる真実とは"。これは、日本版予告編で語られる宣伝文句ですが、本作のテーマを上手く表現した名文ではないでしょうか。
性的マイノリティの物語
記載するか迷いましたが、原作にもある要素ですし、ある人物が性的マイノリティであることが、作品の根幹となるようなネタバレ要素として扱われている映画でもないので、書きます。僕にとっても大事なことなので。核心に至るネタバレだ、と思われた方はごめんなさい。観てもらえればわかりますが、そんなことはないんですよ。でも感じ方は人によりますから、ご意見は甘んじて受け入れます。
イギリスで同性愛(同性婚ではなくて)が違法でなくなったのは、67年のこと。しかし70年代においても、厳しい風当たりがあったことは想像に難くありません。映画本編ではカットされたシーンなのですが、公園で老人が「あそこの茂みに警官が隠れているぞ」と警告してくる場面があります(BDの未公開シーン集で観ることができます)。そこは後に「ゲイが集う池」として有名になったという、ハムステッド・ヒースの池。当時、ゲイは監視対象だったのでしょうか。
カットされたものの、監督のトーマス・アルフレッドソンは、このシーンが一番のお気に入りだと語っています。それが意味するところは、やはりこの映画において、同性愛(性的マイノリティ)の要素は重要であるということ。男性社会の中で、自らの素性を隠して暮らすマイノリティたち。その孤独と苦悩を、スパイの物語に仮託して描いてみせたのではないでしょうか。僕にはそう思えてなりません。
単純に映画が上手い
もう、単純に上手いんですよね。まず俳優の演技。多くを語らず、わずかな表情や所作、身体の動かし方から指先の角度まで、これぞ演技だ!と言わんばかりの見事な表現力を発揮してくれています。映像もいい。全てのカットが印象的で、"語らずに語る"本作の語り口を体現しています。音楽も素敵ですね。一部のサブスクではサントラが配信されているので、ぜひ聴いてみてください。控えめながら、情感を駆り立てます。本作のラストを飾る"ある楽曲"もまた、忘れられない輝きを放っていますね。
ラストの解釈
そうそう、ラストの話をしていて思い出しました。本作終盤で、ある人物がある行動をするのですが(まったくネタバレがありませんね)、その解釈が人によって変わる……というか、正解がないんですよね。わざと空欄にしてある感じ。そこには、それぞれが思うもっとも相応しい理由を、当てはめてあげればよいわけで。あなたの解釈で、この物語を完成させてほしいのです。鑑賞後、ぜひ聞かせてくださいね。というか、語り合いたいですね。
まとめ
映画を観る前に9000文字近くも読ませよう、とする狂気の企画です。最後までお付き合い頂いた読者の皆様には、感謝してもしきれません。サッサと観てしまった方が良かったかも。でも、『裏切りのサーカス』は「観たけどよくわからなかった」、「途中で寝てしまった」という感想を持つ方が多い映画なのもまた事実。一人でも多くの、より良い初見感想が食べたいという僕のエゴが、誰かの映画体験を豊かにすることに繋がっていれば、それ以上の幸福はありません。本当に面白い映画ですから、ぜひ一度と言わず、二度も三度もご覧になってください。繰り返しますが、大事なのは謎解きは気にしなくていいことと、最初から全部わかる必要はないということ。本当に。肩の力を抜いて、孤独な魂が交錯する様を見届けてください。
燃える甲板に少年は立つ。炎は屍を照らし出す。麗しき少年、嵐の統治者たる姿。幼き子なれど誇り高く、炎から逃げようとせず……。